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最近、アメリカのディズニーパーク関連のオピニオンブログなどでは、そのメッカたるディズニーワールドをもういちど見直してあらためて考えてみる、といった内容の記事がときどき掲載されるのですが、特にWDWそもそもの原点ともいえるEPCOTに焦点があてられることが多くあります。
WDWの成り立ち、ウォルトディズニーが思い描き計画した本来のEPCOT構想やそのアイデンティティなどについては、僕もいちど連載的にこのブログで書いていますが(「ディズニーワールド・トリビア解析その2〜オリジナルEPCOT」、「ディズニーワールド・トリビア解析その3〜EPCOTの夢と現実(1)」、「ディズニーワールド・トリビア解析その4〜EPCOTの夢と現実(2)」、「ディズニーワールド・トリビア解析その5〜EPCOTの夢と現実(3)」をそれぞれ参照して下さい)、現在のかたちのEPCOT(EPCOTセンター)として造られたときにおいても、いろいろと実現しなかったことがあるようです。 その点について、アメリカのディズニーパークを扱うコラム・サイトJHM.comでは、1974年から78年のディズニー社の年次報告から掘り起こした“実現しなかったEPCOTのアトラクション/ショー/パビリオン”について紹介しています。 ジム・ヒルの記事はちょっと読みにくいのですが(英語です)、この記事はなかなか興味深いのでよろしかったら読んでみていただきたいのですが(すみません、アメリカのこういったサイトについてはあえてリンクしないことにしています)、そのなかでワールドショーケースの日本パビリオンについても触れられています。 このコンセプトスケッチは、まさに日本パビリオンのために用意されたアトラクションのものだということで(僕はプレショー用だと思いますが)、列車で日本を移動するといったシチュエーションで、車窓に日本の様々な風景が次々に現れるといったようなもののようです。 もちろん、このショーについては実現していないわけですが、そもそもワールドショーケースの日本パビリオンには固定施設としてのアトラクションやショーといったものが結局、造られなかった。 これについては、僕もはじめて1988年にWDWを訪れたときからどうも不思議だったのです。 パビリオンの位置としては、日本パビリオンはワールドショーケースのセンター近く、アメリカン・アドベンチャーの向かって右隣という好位置にあって、建物自体も日本人にはいろいろと意見があるでしょうがそれなりに存在感がある。 またEPCOTセンターがオープンした1982年の翌年、1983年には東京ディズニーランドがオープンするということで、ディズニーにとって日本という存在は大きくなっていたはずです。 それなのに、日本パビリオンにはショップとレストランしかない(まー、そいうパビリオンはほかにもありますが)。これはどういうことなのでしょうかね、と。 ですが、実はこれにはちゃんと訳があったんですね。 ご存知の方は、あーあの話ねとお気づきかと思いますが、ここで話は変わってその1983年にオープンしたTDL。当時、まだパスポート方式ではなくアトラクションごとに有料のチケット制であったころ、唯一、無料の大型アトラクションとして「Meet the World」というのがトゥモローランドにあったことをみなさんはまだ憶えていらっしゃるでしょうか。 この「Meet the World」、TDLオープンの1983年から2002年まで存在していたわけですが、おそらくほとんどの日本人ゲストにとって興味の対象外の、ひどく言えば意識的に無視されていたアトラクションではなかったかと思われます。 これは内容的に日本の歴史を扱ったものであるということ、別にディズニーキャラが登場するわけでもない、きわめてお勉強的なスタイルのアトラクションであったということなどによるものなのでしょうが、TDLのすべてをディズニーとアメリカ一色にしたかった当時のオリランドがこの「Meet the World」をあえて無料アトラクションにしたという姿勢をみても、ゲスト側とオリランド側の感覚が窺われます。 ですが、それではダメなアトラクションだったのかどうか。 この「Meet the World」のアトラクション方式は、実はWDWのマジックキングダムにあった「カルーセル・オブ・プログレス」で採用されていた“カルーセルショー”の方式、つまり回転する円形劇場とオーディオアニマトロニクスのショーを基本的な方式としていたのですね。 この方式は、同心円内に複数のステージと客席とがそれぞれあって、客席から見るとシーンの転換にあわせてステージが回転(横に移動)して次のシーンに替わるというもの。オーディオアニマトロニクスのショーはステージに固定されたもの(いわゆる板付き)なので、シーンチェンジを円滑に素早く行うためにステージ自体を移動させてしまう(あるいは客席を回転させて移動させてしまう)ということと、自分がいる客席と同じ容量の客席が実は円を区切るかたちで壁を隔てた隣にもあって、各客席がステージをひとつづつずれて観ることによって、切れ目なく大量の観客が処理できるというものです。(わかりにくいかな) Meet the Worldとカルーセル・オブ・プログレスの違いは、ステージと客席のどちらが内側でどちらが外側かということだったそうです。(Meet the Worldはステージを大きく取るためステージが外側、だったかな) さて、話がEPCOTから離れてしまったようですが、実はこの「Meet the World」がワールドショーケースの日本パビリオンのために開発されたショー/アトラクションだったということなんですね。 EPCOTの日本パビリオンは、当初はメインショー=「Meet the World」、それからたぶんプレショーとして用意されていたと思われる冒頭のJHM.comで紹介されているショー計画、そしていまあるレストランやショップを備えた、完璧なパビリオン・セットとして計画されていた。 「Meet the World」がEPCOTの日本パビリオンのために開発されたという話は、アメリカ版のWikipediaでも紹介されています。ちなみに日本版のWikipediaにはこんな話はもちろん載っていません。おそらく関心のレベルの違いでしょうけど。 Wikipediaに記載の内容によれば、EPCOT・日本パビリオン版「Meet the World」のためにシアターまで建設されたのだけれど、それは使われることはなかったのだとか。 じっさい、このシアターの建物が日本パビリオンの奥にまだ存在するのかどうかは僕は確認できませんが(EPCOTの空撮写真やサテライト写真を見てもどーもはっきりわからないし、グーグルのサテライト写真はぼやかされているし)、この話の真偽はどうなのでしょうか。 また、なぜEPCOT・日本パビリオンに「Meet the World」が造られなかったのかについては、ひとつには日本の歴史を扱うという内容面で、第二次大戦に触れずにというわけにはいかず(TDLのMeet the Worldでは当然、触れられていませんでした)、当時のアメリカでは計画自体が頓挫したのではという話や、そもそもEPCOT全体の建設費が当初の予算を遥かにオーバーし、それがディズニー社の財政圧迫のひとつの要因にもなり、また日本企業のスポンサーも付かず、計画されて実際には造られなかった多くのアトラクションのひとつとなったという話、などがあります。たぶん後者の理由の方が大きかったのではないかと僕は思いますが。(それが、JHM.comで紹介されている“実現しなかったEPCOTのアトラクション/ショー/パビリオン”ということになるわけですね) ただ、TDLにおいて実現した「Meet the World」については、日本での評価はともかく、日本以外ではとても高い評価を得ている場合が多いようです。 特に、ショーの音楽についてはあのシャーマン兄弟の作曲で(ご存知のように「メリーポピンズ」のすべてのスコアをはじめ、ディズニーパークではチキルームやスモールワールド、EPCOTではジャーニー・トゥ・イマジネーションなどのショー音楽も手がけ、ディズニーにとっては当時のスター音楽家です)とても高い評価を得ていたそうです。 内容的にも、まさしくEPCOTセンター的内容とクォリティ(それが日本では良くなかったのかも、ですが)をもっていたと思います。 なにはともあれ、「Meet the World」はWDWで日の目を見ることはなく、浦安においてもすでに消え去ってしまいました。 シャーマン兄弟の音楽については、僕もほとんど記憶に残っていないのですが、これは例えば古いCDなどを探せば聞くことができるのかどうか。 いまあらためて「Meet the World」を考えると、本来、造られるべき場所で造られず、せっかく造られた場所では、その地元のひとたちからは決して評価されたり好まれたりしなかったまま終えてしまったと思われる、じつに可哀想な運命を持ったアトラクションであったような気がするのは僕だけでしょうか。 《WDW旅行記シリーズ》をお読みになりたい方は、メニュー内の『旅行記コンテンツ(目次)』からか、ここから「目次」のページに行くと、各ページごとにお読みいただけます。 もしコメントをいただけるようでしたら、とても励みになります。 人気ブログランキング参加中!!面白く読んでいただけましたら人気blogランキングへワンクリックお願いします。
by oldwdwfan
| 2006-06-07 13:44
| WDWトリビア解析
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