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短期集中連載(となってしまった)の『ディズニーワールド・トリビア解析:オリジナルEPCOT〜EPCOTの夢と現実』も、今回で最終回としたいと思います。
前回までに、ウォルト・ディズニーが想い描いたオリジナルのEPCOTからEPCOT Centerに至った話、そしてようやくオープンしたEPCOT Centerについて書いてきました。 今回は引き続き、ウォルトのオリジナルEPCOTとEPCOT Centerとの比較などをみてみたいと思います。 ウォルトはEPCOTを構想するにあたっては、都市の中の環境を汚さない交通機関のありかたを重要視していたということを以前に書きました。(ディズニーワールド・トリビア解析その2〜オリジナルEPCOT参照) そのEPCOT計画の交通機関のひとつであるモノレールは、現実のウォルトディズニーワールド(WDW)では、みなさんご存じのようにMagic KingdomとEPCOT(現在のEPCOT Centerの名称。この名称についてはまたあとで少し触れます)をつなぐ路線と、Magic Kingdomの前面に広がるSeven Seas Lagoonを周回する路線で実現されています。 ウォルトの構想によるコンセプトスケッチでは、このように建物の内部をモノレールがそのまま乗り入れる様子が描かれていますが、これはコンテンポラリー・リゾートで実現していますね。 ディズニーのテーマパークには、アナハイムをはじめとしたディズニーランドにそれぞれのお城があるように、必ずパークの中央にランドマーク〜icon(アイコン)となる建物が存在します。 ウォルトのEPCOT計画では実験都市の中心に位置するランドマークとして、高層ホテルがイメージされています。 これは、実験都市=EPCOTだからこそ構想されたアイコンだったのでしょうが、テーマパークである現実のEPCOT Centerには、もちろん建設されることはありませんでした。 というより、実験都市ではなくテーマパーク・リゾートとなったWDWには、このような都市型の高層ホテルはおそらく永久に建設されることはないでしょう(もちろん未来のことは僕にはわかりませんが)。 それでは、現実のEPCOT Centerにはアイコンはないのか。もちろんあの銀の玉(Spaceship Earth)が造られましたし、誰も疑うことのないシンボルになっています。 でも、Magic Kingdomのシンデレラ城のように(そしてAnimal Kingdomの生命の樹のように)、パークのセンターにあってそこから放射状にパークが広がる構造の中心となるアイコンとしては位置していません。これは何故なのかは僕にはわかりませんが。 ちなみに、現在のEPCOTの正確な中心を示すマーカーが、「Innoventions West」からまっすぐ「The Land」に向かう途中にあるそうです(ホントかなあ)。 僕がこれまでに行ったときには知りませんでしたので、実際にこのマーカーを見たことはありませんが、もし今後行かれる方がいたら見つけてみて下さい。 ウォルトは、ゆっくり歩いて楽しむことのできる街をたいへん大事にしていました。 日本にいるとそれほどのこととも思うのですが、アメリカの都市でゆっくり歩いて安全に楽しめるというのは大変に貴重なことですよね。 ウォルトのこの思いの原点が、彼が幼少期を過ごしたミズーリ州の田舎町マーセリーンにあることは良く知られていますし、そのマーセリーンがDisneyLandやMagic Kingdomの「Main Street USA」のモデルとなったということをご存じの方は多いと思います。 結局、テーマパークとしてのEPCOT CenterはEPCOT構想のごく一部ですから、そのような娯楽を楽しむ街は造られませんでしたが、WDWにはダウンタウン・ディズニーやEPCOT近くのボードウォークが造られました。 また、ウォルトが実験都市EPCOTに造りたかった実際に人の住む町ですが、ディズニー社は1996年に、WDW近くのOsceola群Swamplandに「Disney's Celebration」という住宅地を開発しました。 この町については、僕は情報や映像でしか知らないのですが、居住者は約1万人(将来的には2万人)。写真のように人造湖とともに一挙に造成して町が造られ、ディズニーらしく居住者が家を建てて住むには、なかなか厳しい建築デザイン規制や居住の決まり事があるようです。 居住地内部には戸建てエリアのほか、アパートメントやタウンハウスなどもあるということですが、当然ながら価格は高く、建て売りかタウンハウスの場合だと思いますが平均的な家の価格は22万ドルだということです(日本的には高くないですけど、フロリダでは高価)。また別のレポートでは、4ベッドルームの建て売り(アメリカ的にはこじんまりとした家)で全米の平均価格の3倍の45万ドルもするという話もあります。 このCelebrationについては、けっこう辛口のレポートが多く、結局、ウォルトが描いた未来のモデルとなるコミュニティではなく、中産階級白人層(中の下か下の上)のための懐古趣味的な(ノーマン・ロックウェル風の古き良きアメリカ)住宅地。あるいは、リッチなスキーリゾートとして有名なアスペンのような観光地の町(日本でいえば軽井沢?)になっている(実際にホテルもできました)というような評価です。 僕は、かつて90年代にWDWを訪れたときにこのCelebrationの開発のことを知り、興味を覚えつつパンフや資料などが欲しくて、たしかアメリカのディズニー社の問い合わせ先に資料が欲しいとWDWにあった問い合わせハガキを送ったことがあったのですが、アメリカの居住者じゃなければダメよ、という返事のレターが返ってきたように憶えています。(現在はどうだか知りません。ただ、ディズカバリーチャンネルで少し流れたCelebrationの様子や住民のインタビュー映像を見ると、やはり保守的な白人のコミュニティかな、という気がします) 「Disney's Celebration」については、また機会があったらもう少し詳しく書いてみたいと思います。 さていくつか、オリジナルEPCOTと現実のEPCOT Centerについて書いてきました。 まだまだ比較対照はあるとは思いますが、とりあえずこの辺で。 最後にテーマパークとしての現実のEPCOTの名称についてですが、最初はこれまで書いてきたようにウォルトの夢と理想を受け継いで、実験都市EPCOTの一部をテーマパークにしたということで「EPCOT Center」という名称を正式名称としてきました。 それが、1994年にアトラクションのリハブ(特に、フューチャーワールド中央のCommuniCoreがInnoventionsに替わった)などから、名称を「EPCOT 94」と変えました。そして翌年は「EPCOT 95」。 毎年、名称が変わっていくのもなんだよなーと思ったのかどうかはともかく、次の1996年からは正式に「EPCOT」とシンプルな名称になりました。(僕的には、昔のEPCOT Centerという名前が好きだけど) ですから、多くの日本人ゲストにとっては、単に「EPCOT」という名前の方がなじみがあるでしょうね。 それでは『オリジナルEPCOT〜EPCOTの夢と現実』はとりあえず終了しますが、“ディズニーワールド・トリビア解析”自体は、EPCOTのほかの話題も含めて続けていきたいと思いますので、よかったらまた読んでやって下さいな。 《WDW旅行記シリーズ》をお読みになりたい方は、メニュー内の『旅行記コンテンツ(目次)』からか、ここから「目次」のページに行くと、各ページごとにお読みいただけます。 もしコメントをいただけるようでしたら、とても励みになります。 人気ブログランキング参加中!!面白く読んでいただけましたら人気blogランキングへワンクリックお願いします。
by oldwdwfan
| 2005-09-30 16:16
| WDWトリビア解析
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